ただいま~♪
ウサギたちのおもてなしに楽園の島のように心躍らせてハシャいでしまっていた昨日から一転、この日はそのような楽園も偽物の姿へと見えてくるものだった・・・。

戦後半世紀は経つというのに、この毒ガスの残るような息苦しさはなんだろうか。
それは戦争と平和が交錯する不思議な姿を前にしているかのように、毒ガス貯蔵庫の暗闇へと跳ねていくウサギたちの背中を見つめてしまうばかりだ・・・。

DSC01122.jpg長浦毒ガス貯蔵庫跡

昨日は遠く、明日はすぐのように・・・。資料館に展示される白黒の写真では遠い過去のことに感じたが、実際の廃墟に立てば、そこにはまだガスが残っているような息苦しさに、つい最近のことのようにも感じる。

今でこそ、ウサギたちの住む島としてもてはやされる島となっているが、第二次世界大戦時には旧日本軍によって極秘に製造が進められてきた毒ガス工場の島であり、機密性を守るのにうってつけのこの住民のいない島で、国際条約を無視して多くの毒ガスを作り続けては悲劇を産み続けてきたそうだ。
その苦しみは現代、そして未来へと見えることのない終わりが続いている。
それにしても毒ガスというのは不気味で、残された遺跡や生々しい展示物が置かれる資料館などを見ているとやはり気は沈み、そして受けきれない思いはため息となって何度もこぼれてしまった・・・。

島は現在、国民休暇村に生まれ変わり人々を呼び寄せている。
その”国民休暇村”という名前が、自分には過去の事実を平和なものに塗りつぶすよう意図されたものに感じてならなかった。
そうでなければ、人々がこの島に再び踏み入れようとする気にはならなかったのかもしれない。
だからこそ、この島が犯してしまった過ちを知って欲しい。
それはこの島の"影"であり、"光"はもちろん戦場に咲くウサギたちだ。

旅829日目 「大久野島の光と影」

予報通りの朝から雨の一日。
そんなこの日は大慌てに始まり、ため息ばかりで終わる一日。

まず今朝、自分が敷いて寝ているマットを浮島のようにして、テント内はほとんど水浸しとなってしまっていたから大変だ~!(> <)/


それも屋根のある炊事棟のコンクリートの下でこの有様。屋根下まで吹き込んでくる雨風にテント内まで浸水させてしまうほどの被害であり、それにようやく気がついた今朝は、まずテント内の荷物を避難させるのに大忙し!!
びしょ濡れとなった財布を拭うにしろ、連日の大雨にもう乾いたタオルすらもなく途方にくれる・・・。
昨日の雨の走行からびしょ濡れの靴はレジ袋を挟んで履きながら、そうしたあたふたとさせられた朝であった・・・。

DSC00931_20131107235155e8d.jpg昨日から止むことのない雨
  テントには這い上がってくるたくさんのナメクジが・・・。(> <)/


この日は一日雨の予報、ならばこのキャンプ場でのんびりして明日から島の観光へなんて思うが、この高いキャンプ場にもう一泊なんて考えられなかったので観光して最終便のフェリーで島を出るつもりである。
島の周囲は僅か3kmほどと、一般車両の通行も認められない小さな島。
そのため、自転車はおいて、傘を片手に歩いて島を巡ろうと思う。
雨だからと言ってぐたぐたしているのは自分ぐらいで、トイレに行けば早くもウサギたちが待ち構え、待ちくたびれたように数匹のウサギたちがキャンプ場へとに遊びに来てくれた♪

浸水被害の対策に随分と時間をかけてしまい、ようやく島を歩き出すこととなったのはお昼になろうかというころだ。

DSC00940.jpgキャンプ場に遊びに来てくれた子♪

DSC00933.jpgテントの中は水浸し、今朝では多くの荷物を濡らしてしまった・・・。(> <)/

DSC00938.jpg風に当てながら乾かし中・・・
 炊事棟を占領してしまっているけど、キャンプ場には自分ひとりなんで許してください・・・。^^;


DSC00968.jpgウサギからのお願い

DSC01092.jpg国民宿舎前で人々が出てくるのを待ちわびるウサギたち。
   自分とは相反して、こんな雨の日でも元気なウサギたちだ♪


DSC01099.jpgこの島においては”二兎を追う者は二兎をも得る”であるかも。(笑)
  駆け寄ってくる彼らを踏んづけてしまわないよう、ハラハラです・・・^^;


DSC01074.jpg待ってました♪と言わんばかりに、新たな人間を見つければ一斉移動!!
  この光景に女性なんかは悲鳴を上げて喜んでばかりだ。^^;


こんな強い雨の中でもウサギたちは元気一杯で、傘に体をすぼめて歩く自分とは対照的に自分のまわりを追いかけっこして遊ぶほど。
そんな駆け寄ってくる彼らに気がつかず、蹴り飛ばしてしまわないか不安になってしまうほどだ。^^;
そんな彼らにカメラを向けてばかりだが、困ったことにこの日の湿度が高いせいでカメラのレンズが結露ですぐに曇ってしまいこれには一日中悩まされてしまった。
厄介なことにレンズとレンズの内側が曇ってしまっているようで、拭くにも拭けずにこればかりかはどうしようもなければピントを合わせることすらできず・・・。
とにかくズームを回すことでレンズ内の湿気を吹き出すしかないのだが、その間にも耳を折りたたんで手入れする愛くるしい仕草を前にシャッターが切れないままであるから、このときは泣けてくるばかりである・・・。(> <)

何かを期待した様子で雨宿りする草むらから飛び出してくるウサギたち。
なんかちょーだい♪なんて言わんばかりの彼らの無垢な瞳に何度も吸い込まれそうになってばかり。
あげられるものを何も持ち合わせていないことに申し訳なく思いながら、
そんなウサギたちに背中を見送られるなかビジターセンターへと入っていった。

DSC00985.jpg大久野島ビジターセンター

DSC00977.jpgこの瀬戸内海国立公園の説明やウサギの写真が並ぶ館内

DSC00978.jpg足元に広がるのは大久野島の模型
 国民宿舎のみの、本当に民家ひとつ無い島であることがよくわかる。


DSC00980.jpg

国立公園の多い北海道ではよく見てきた以来、本州では久々のビジターセンターに不思議と北海道に戻ってきた気分、ちょっと懐かしい思いで長くいた。
館内ではこの島を含む瀬戸内海国立公園の説明がされ、また晴れの日のふさふさするウサギたちのかわいい写真が何枚も展示されてあったのだが、そんなウサギたちに顔をほっこりさせていたのもここまで・・・。

この次はこの島の知って欲しい本当の顔と言うべきだろう。
冒頭にも書いたように、この島の過去は本当に悲惨であった。

DSC01012.jpg

DSC01007.jpg大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑

この内海の瀬戸内海に守られた小さな島が、敵国への機密保持に最適だったという。
現在は民家一つ無い国民宿舎のみが建つ静かな島だが、戦時中の島の写真を見れば毒ガス関連の施設が街のように並ぶ。
五千人もの人々がここで毒ガス製造にあたり、昭和4年から20年の終戦にかけてまで、ジュネーブ協定に反して旧日本軍は密かに毒ガスを製造し続けていた事実。
この大久野島が日本において毒ガス製造の中心として、絶対に漏らしてはならない機密保持のため、やがて島は地図からも消されるようになったという。
現在ではウサギの島として楽園の島と呼ばれるが、昔はその正反対ともいえる毒ガスの島であった事実が、島を歩くと徐々に見えてきた。
入館料は100円。閉館しているのかと思ったが、書かれてある通りにチケットを誰もいないカウンターに添えて中へと入った・・・。

DSC00996.jpg大久野島毒ガス資料館

館内では写真を控えるようお願いがあったが、許可されていたとしても撮れたものじゃなかっただろう・・・。
展示される毒ガスマスクは見ているだけで気味が悪く、ゴーグルはいかにも毒に犯されたように黒く汚れている。
また、こんなもので毒ガスが防げるものかと疑問に思うようなものでもあった。
事実、ゴム製の防毒マスクに全身を覆う防毒服、手袋で完全に覆うも、しかしこのような完全防備をしても僅かなすきまから呼吸だけではなく皮膚全面から吸収されていく毒ガスに、被毒していった作業員は倒れていったという。
主に未成年の若者たちがこの大久野島へと強制的に連れてこられ、毒ガスに確実にむしばまれていく焼け焦げたような真っ黒な肌へとなっていくのと引き替えに、それでも毒ガスを作り続けては、明日の日本を夢見てここで汗を流していた。
皮膚障害だけでなく、吸い込めばわずか数十分で死に至る猛毒の様々な毒ガスを作り続け、その生産量は月に450トンにも達し、この島から生み出された数万発に達する毒ガスが実戦へと使われていったそうだ。
国際条約に反し、日本はどこへ向かっていこうとしたのだろうか・・・。

各種の毒ガス製造にあたり、また戦後の処理においても従事した多くの方々が毒ガスの後遺症に悩まされている。
日中戦争で使われ、終戦時に旧日本軍が中国に大量に遺棄してきた毒ガスの処理は化学兵器禁止条約で日本の国際義務として決まり、長らくその存在を認めていなかったこともあり毒ガスの処理が始まったのはつい最近の2000年のことだ。
膨大な数に終わりの見えない撤去作業、またこの大久野島にも埋められ処理された毒ガスは、地下水の汚染も懸念され始めている。
毒ガスの悲劇は終わることなく現代にまで、そして未来へと続いていた。

日本で毒ガスが製造され使用された事実、拭い去ることの出来ない歴史である。
この大久野島が語りかける事実は単に過去の歴史的事実というだけにとどまらず、
忘れてならないのが、世界では今もなお化学兵器の使用が続くのが現実であり、大久野島と同じ悲劇を繰り返そうとしている痛ましい現状も館内では展示されていた。
以上のこと以外にも、この資料館で衝撃を受けた事実はまだまだある。

狭い館内だが、研修室でのDVDの映像などと共に、ここでは随分と時間をかけて見ていた。

DSC00991.jpg毒ガス工場が立ち並ぶ当時の島の姿

DSC00969.jpg大久野島のあちこちに点在する毒ガス工場の遺跡を丁寧に回っていくことに。

昨日は遠く、明日はすぐのように・・・。資料館での白黒写真では遠くの時代のことのように思いは逃げることとができたのだが、それらの前に立ち実際に自分の目で遺跡を確認していけば、今でもまだ毒ガスが残っているんじゃないかと疑うような息苦しさに、つい最近のことのように思えた。

日本の敗戦後、勝利した連合軍の監視下で多くの施設が壊され、毒ガスは処分されていったそうだが、当時を物語る施設跡は島の至るところに残されてある。
のぞき込む奥では今でも毒ガスがこびりついたかのような汚い壁、そんなことを知らないウサギたちは、こんな雨の日には格好の雨宿り場となっているのだろうか、柵を潜り抜けてのんきに毒ガス貯蔵庫の奥深い暗闇へと跳ねていく。
そんな後ろ姿を何度も見かけては引き留めたい思いとなった。
過去の事実を思うと、その奥にはまだガスが残っているんじゃないかと身震いするような暗闇だったからだ・・・。

もう毒ガスは無いはずなのに、この喉を啄むような息苦しさは何なのだろうか、
受け止めきれない思いはため息となって、何度も口から漏れてきてしまってばかりだ・・・。

DSC01122.jpgこの長浦毒ガス貯蔵庫跡には100トンもの毒ガスが詰まったタンクが6基貯蔵され、壁の側面の焼き焦げた跡は戦後の火炎放射器による焼却消毒した跡だという。とにかく嫌な雰囲気をしていた・・・

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DSC01168.jpg毒ガス工場に送電していた発電所跡

DSC01208.jpg発電所入り口に書かれた米軍支配によるサインの跡

DSC01169.jpgこの姿を見て、ウサギたちは何を思っているのだろうか・・・。

民家一つ無いこの島に約300羽住んでいるといわれるウサギたち。
フェリー乗り場に国民宿舎がある島の南部以外のひと気のない場所でも、島中にいるウサギたちにあちこちで歓迎されては、人間をこれっぽっちも怖がる様子を見せなかった。
彼らは知るはずもないだろう。作られた毒ガスの毒性を知るために自分たちが使われたことを知らない今のウサギたち。
ただそれを知ったとき、彼らは何を思うのだろう・・・。

ビジターセンターに毒ガス資料館もそうだが、国民宿舎前を除いては、この雨の中誰とも会わないまま島巡りを終えた。
そのようなものだから、さらにひと気のない山道を上った先への遺跡群へは、この雨風の強さが不気味さを付け加え、情けない話だが諦めようかとも考えたほどだった・・・。
それほど、心は参っていたのかもしれない。

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DSC01026.jpg北部砲台跡

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DSC01152.jpg中部砲台跡

DSC01009.jpg毒ガス工場があった当時からあるという大久野島神社、
    当時の人々は神様に何を祈っていたのだろうか・・・。


DSC01010.jpg神殿にも雨宿りするウサギたちが。

5時過ぎの最終便フェリーで島を出ることにした。

それにしても今日はしんみりしてばかりの日であった。
毒ガスの過去を背負う大久野島は当たり前だが島に住み着く人もいないまま、それでも現在は保養地として休暇村に指定された島には国民休暇村宿舎ホテル、立派なテニスコート、釣りやキャンプに海水浴、ウサギを求めて見にくる人々で週末は賑わうという。
”国民休暇村”という名前が、自分には過去の事実を平和なものに塗りつぶすよう意図されたものに感じてならなかったが、そうでもしないと人が来ないのだろう。

しかし、同時に大久野島は過去の過ちを繰り返さないようにと世界に訴えかける大切な存在でもあった。
旅を駆け出したころは楽しいことばかりの旅にしたくて、こういった悲しい場所へはどうしても足が重たくなるばかりであったが、それでも知りたいと思うようになったのは、自分の気持ちの変化だろうか。
またこの島へはたくさんのかわいらしいウサギたちを求めて、ニンジンでも手にやってきたいと思う。それも天気のいい日にね・・・。(^_^;

DSC01229.jpg島を離れる最後の最後まで見送ってくれるウサギたちは、
   「また島に来てね♪」なんて言ってくれているのだろうか。


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DSC01234.jpg離れていく大久野島に別れ・・・。

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DSC01238.jpg本土に復帰後、竹原市街地まで30分ほど雨のなかの走行(> <)/

DSC01254.jpg竹原市街地

本州の忠海港に到着後、雨の中30分ほど走らせて、道の駅がある竹原市街地までやってきた。

ちなみにこの竹原の町は江戸中期の町並みが残る安芸の小京都と呼ばれる竹原伝統的建造物保存地区として有名な観光地、そんな明日を楽しみにしている。
明日は青空の下笑顔になれるだろうか、なんて夢見て眠りについた。

DSC01258.jpg今夜は道の駅”竹原”でキャンプです。



6月20日 おしまい。


天候: 雨
体調:良好

キャンプ地:道の駅 竹原 (広島県竹原市)


[あとがき]

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読んでくれてありがとうございます
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[2013/08/13 00:58] | 広島(大久野島)
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